木を透き通るほど繊細に削り出す

木を透き通るほど繊細に削り出す


継承


継承

継承

_01

三代目治兵衛の祖父にあたる初代治兵衛の時代までは、斧を担いで山に登っていた。有望な木を見つけると伐採し、手斧で粗削りした。切りたての木材はすぐに使えない。新しい木は野菜のようにみずみずしく、新鮮な水がにじみ出る。乾燥には5年から7年かかる。

初代治兵衛は名古屋で、五代続く木地師(木工職人)の家系に生まれた。卓越した技術で知られ、極薄の旋盤加工を専門としていた。その技は木を透き通るほど繊細に削り出すものだった。

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三代目治兵衛の祖父にあたる初代治兵衛の時代までは、斧を担いで山に登っていた。有望な木を見つけると伐採し、手斧で粗削りした。切りたての木材はすぐに使えない。新しい木は野菜のようにみずみずしく、新鮮な水がにじみ出る。乾燥には5年から7年かかる。

初代治兵衛は名古屋で、五代続く木地師(木工職人)の家系に生まれた。卓越した技術で知られ、極薄の旋盤加工を専門としていた。その技は木を透き通るほど繊細に削り出すものだった。

_02

初代治兵衛は木製の台座を作るだけでは満足しなかった。自ら漆を塗り、作品を漆器として完成させることを志した。その頃、食と芸術と生活様式において頂点を極めた魯山人と出会う。魯山人は名古屋にある治兵衛の工房を頻繁に訪れ、最も直接的で親密な方法で指導を与えた。

この出会いは深い感銘を残した。そこから生まれたのが、大胆で荒削りな「はつり」彫りと極薄旋盤加工の精密さが調和する、治兵衛の代名詞とも言える独特の様式である。この対照と調和、鍛錬と生々しいエネルギーの精神を、二代目、三代目治兵衛は自らの作品に受け継ぎ続けている。

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初代治兵衛は木製の台座を作るだけでは満足しなかった。自ら漆を塗り、作品を漆器として完成させることを志した。その頃、食と芸術と生活様式において頂点を極めた魯山人と出会う。魯山人は名古屋にある治兵衛の工房を頻繁に訪れ、最も直接的で親密な方法で指導を与えた。

この出会いは深い感銘を残した。そこから生まれたのが、大胆で荒削りな「はつり」彫りと極薄旋盤加工の精密さが調和する、治兵衛の代名詞とも言える独特の様式である。この対照と調和、鍛錬と生々しいエネルギーの精神を、二代目、三代目治兵衛は自らの作品に受け継ぎ続けている。

_03

名古屋市民展受賞5回、愛知社展特賞、商工展特賞

昭和7年茶道松尾流家元職人として十職に入る。治兵衛の名を受ける

昭和32年日ソ工芸展出品、ソビエト文化省購入

昭和34年日本伝統工芸展入選

昭和37年イタリアローマ市日本アカデミア開館時に作品出品

昭和38年国立近代美術館京都分館会館時に作品出品

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名古屋市民展受賞5回、愛知社展特賞、商工展特賞

昭和7年茶道松尾流家元職人として十職に入る。治兵衛の名を受ける

昭和32年日ソ工芸展出品、ソビエト文化省購入

昭和34年日本伝統工芸展入選

昭和37年イタリアローマ市日本アカデミア開館時に作品出品

昭和38年国立近代美術館京都分館会館時に作品出品

_04

二代治兵衛

昭和2年生まれ

昭和38年日本橋三越本店で親子展

昭和51年二代目治兵衛

日本橋・名古屋・福岡・大阪 各三越 名鉄、京都嵯峨吉兆、大阪ギャラリー堂島、仙台金源堂などにて個展多数

Street Art on a big wall

自然の木から作品へ

自然の木から作品へ

自然の木から作品へ

人の心の奥深くに響く作品を作りたい

人の心の奥深くに
響く作品を作りたい

_05
木地師の仕事は、まず木の声に耳を傾けることから始まる。一本一本の木には、その歪みや割れ目、含水率、育った土地といった固有の性格がある。職人はこれらの兆しを読み取り、素材をいかに尊重し活用すべきかを見極める。木に無理を強いるのではなく、刃の角度や道具の動きを調整し、素材の性質に応えるのだ。そうすることで、木材の持つ可能性が最大限に引き出される。

_06
鉋棒(かんなぼう)——長い木工用工具——はどこにも売っていない。だから彼は鍛冶場に入り、自ら作り出す。そして各作品に合わせ、刃の入り角度や切れ味といった微細な調整を施す。木は人のようだ。手に負えないものもあれば、従順なものもある。従順すぎれば、スリルは生まれない。その境界線を見つけること——これこそが木工職人の真の喜びである。

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鉋棒(かんなぼう)——長い木工用工具——はどこにも売っていない。だから彼は鍛冶場に入り、自ら作り出す。そして各作品に合わせ、刃の入り角度や切れ味といった微細な調整を施す。木は人のようだ。手に負えないものもあれば、従順なものもある。従順すぎれば、スリルは生まれない。その境界線を見つけること——これこそが木工職人の真の喜びである。

_07
古くから「木に師あり」と言われるように、木工職人の技の本質は、この静かな対話——木に耳を傾け、敬意を払い、調和して働くこと——にある。これは職人の技の基盤であると同時に、あらゆる創造の出発点でもある。

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古くから「木に師あり」と言われるように、木工職人の技の本質は、この静かな対話——木に耳を傾け、敬意を払い、調和して働くこと——にある。これは職人の技の基盤であると同時に、あらゆる創造の出発点でもある。

_08
漆(うるし)という言葉は、古代日本語で「美しい」を意味する「うるわし」に由来すると考えられている。漢字で表される樹木の中で唯一、漆の木は「木」の部首ではなく「水」の部首で書かれる。これは、その稀有で貴重な樹液が古代から人々に深い畏敬の念を抱かれてきたことを反映しており、まさに自然からの贈り物である。

漆器は日本の象徴としてあまりにも有名で、西洋では「ジャパン」という言葉自体がこれらの精巧な作品を指すようになった。今日に至るまで、漆器は世界中で日本の芸術性とアイデンティティを体現する究極の表現として認知されている。

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漆(うるし)という言葉は、古代日本語で「美しい」を意味する「うるわし」に由来すると考えられている。漢字で表される樹木の中で唯一、漆の木は「木」の部首ではなく「水」の部首で書かれる。これは、その稀有で貴重な樹液が古代から人々に深い畏敬の念を抱かれてきたことを反映しており、まさに自然からの贈り物である。

漆器は日本の象徴としてあまりにも有名で、西洋では「ジャパン」という言葉自体がこれらの精巧な作品を指すようになった。今日に至るまで、漆器は世界中で日本の芸術性とアイデンティティを体現する究極の表現として認知されている。

_09
様々な木材について学んだ後、治兵衛は高価な木材を使い続けている。彫刻家が決して使わないような木材だ。なぜなら彼の作品は道具でもあるからだ。

輪郭を作るだけなら、表面を数センチ彫れば十分なので、安価な木材も候補になり得る。

しかし、例えば水指は内部に約5リットルの水を貯めるために内側をくり抜く必要がある。耐久性と防水性、これらは木材を選ぶ上で重要な要件だ。

芸術には様々な種類がある。見た目として驚きや面白さをもたらすもの。治兵衛の方針はそうではない。人の心の奥深くに響く製品を作りたいのだ。

たとえ(水指として)使われなくとも、作品を手に取る方に「これを持っておきたい」と思ったり、「一生自分の部屋に置いておきたい」と思ってほしいと願っている

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様々な木材について学んだ後、治兵衛は高価な木材を使い続けている。彫刻家が決して使わないような木材だ。なぜなら彼の作品は道具でもあるからだ。

輪郭を作るだけなら、表面を数センチ彫れば十分なので、安価な木材も候補になり得る。

しかし、例えば水指は内部に約5リットルの水を貯めるために内側をくり抜く必要がある。耐久性と防水性、これらは木材を選ぶ上で重要な要件だ。

芸術には様々な種類がある。見た目として驚きや面白さをもたらすもの。治兵衛の方針はそうではない。人の心の奥深くに響く製品を作りたいのだ。

たとえ(水指として)使われなくとも、作品を手に取る方に「これを持っておきたい」と思ったり、「一生自分の部屋に置いておきたい」と思ってほしいと願っている